大判例

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浦和地方裁判所 昭和51年(ワ)198号 判決 1980年1月21日

原告

三村節子

ほか二名

被告

大杉弘

ほか一名

主文

原告らの請求を全て棄却する。

訴訟費用は全て原告の負担とする。

事実

註 以下本判決においては次の略称を用いる。年号は全て昭和である。

原告車 登録番号八埼す二二三〇号ダイハツ四六年式自家用軽四輪乗用車

被告車 登録番号群一一い二八八七の日野五〇年式事業用大型貨物自動車

本件県道 東松山市と鴻巣市を結び、比企郡吉見町大字下細谷八〇八番地先を通る県道

本件農道 大里村から川島町方面に通じ、右下細谷八〇八番地先で本件県道と交差する農道

本件交差点 右下細谷八〇八番地先における本件県道と本件農道の交差点

本件交通事故 五一年三月二五日午後六時五五分頃、本件交差点において、原告車と被告車が衝突した交通事故

亡光昭 亡 三村光昭

亡瀬山 亡 瀬山壽美恵

本件見取図 別紙図面(一)の交通事故現場見取図(その二)

別紙図面(二) 別紙図面(二)の本件事故状況図

第一当事者の申立て

一  原告ら

被告らは各自原告節子に対し一〇〇〇万円と内金九五〇万円に対し五一年三月二五日から支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

被告らは各自原告明己及び同佳嗣各自に対し九五〇万円と内金九〇〇万円に対し五一年三月二五日から支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用被告ら負担

仮執行宣言

二  被告ら

請求棄却

訴訟費用原告ら負担

被告ら敗訴の場合、担保を条件とする仮執免脱宣言

第二当事者の主張

一  原告ら

1  当事者

(一) 被告大杉は、運送業を営み、被告車を所有している者である。

(二) 被告天谷は、被告大杉の従業員であり、被告車の運転に従事していた者である。

(三) 原告節子は、亡光昭の妻であり、同明己(長女、二九年五月八日生)、同佳嗣(長男、三一年八月一四日生)は亡光昭の子である。

2  交通事故の発生

五一年三月二五日午後六時五五分頃、亡光昭が亡瀬山を乗せ、原告車を運転し、大里村方面より川島町方面に進行中、比企郡吉見町大字下細谷八〇八先の本件交差点にさしかかり、一時停止して再び発進したところ、被告大杉所有、被告天谷運転の被告車が東松山市方面より鴻巣市方面に向かい右交差点を高速度で通過せんとして、原告車に衝突し、これを、数十m引きずつて停止した。

右事故により、原告車を運転していた亡光昭は脳挫傷により即死し、同乗の亡瀬山は同日午後七時五六分、脳挫傷、顔面挫滅創により東松山整形外科病院にて死亡した。

3  責任原因

被告大杉は被告車の所有者であるから自賠法三条の運行供用者として、被告天谷は前方不注意の過失があるから民法七〇九条により、いずれも、原告らの損害を賠償すべき責任がある。

4  損害

(一) 逸失利益 金三九〇〇万円

亡光昭は死亡時四九歳の健康な男子で、鴻巣市立笠原小学校の教頭をしていたものであるが、同人の所得は、五〇年度所得四五二万七〇九九円に五一年度賃金上昇率六・九四%を加算した四八四万一二七九円程度を得ていたことは明らかである。そこで、同人の生活費を三五%、就労可能年数を六七歳まで一八年間とし、ホフマン方式で逸失利益の現価を計算すれば次の数式により三九〇〇万円となる。4841279×0.65×12.603=39000000(100万未満切捨)

しかして、原告らは自賠責保険から一五〇〇万円を受領したからこれを右逸失利益に充当し、残額二四〇〇万円を原告らは各自法定相続分に従つて相続したので、その額は各自七九九万円(一万未満切捨)となる。

右の通りであるが、本訴においては各内金五〇〇万円を請求する。

(二) 葬儀費用 金五〇万円

原告節子が負担した。

(三) 慰謝料 金一二〇〇万円(各自四〇〇万円)

亡光昭は一家の支柱であり、人格・識見とも優れ、五一年四月からは校長に内定していた。遺族の精神的苦痛は甚大である。各自四〇〇万円を相当とする。

(四) 弁護士費用 金一五〇万円

原告らは原告訴訟代理人に本訴提起と追行を委任し、第一審判決時において原告各自五〇万円を支払うことを約した。

5  よつて、原告らは、被告ら各自に対し、請求の趣旨記載の金員と弁護士費用を除く各金員に対し五一年三月二五日から支払い済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

6  被告主張の免責、無過失、過失相殺の各主張はいずれも否認する。

7  事故時の道路状況等

(一) 事故時の明るさは、暗くなりかけたところで(日野岡証言20)、ライトをつけないで走行している車もあつた。対向車でスモールで走つている車が何台かあつた(同148)。暗いといつてもいい(同150)程度で真暗ではなかつた。

(二) 被告進行道路の本件交通事故現場の本件交差点内には、センターラインの白線がかすかに残つているが、その標示は極めて不鮮明で、一見して明瞭にその白線を認め得るものではない。

従つて、当時優先道路とされていたとしても、道路標示が不明瞭である場合にまで優先道路を主張しうるものではない。

本件県道の幅員は側端の砂利道部分を含めて七・七mあるが、車道有効幅員は六mで、本件農道五・八mとほぼ変らず、広道でも何でもない。ただ本件農道側に一時停止の標識があるに過ぎない。

(三) 交通量は本件県道が本件農道より多いが、速度制限はいずれも時速四〇kmと規制されている。しかし、本件県道は直線で見通しが良いために時速六〇km以上の速度で走行している車両が一般であつた。

事故後信号機が設置されたため事故当時と状況が異なるが、事故以前はサツキコカコーラ前で警察の取締がしばしば行なわれていた。このことは制限を超えて走行する車両が多かつたことの証左である。証人日野岡は時速六〇kmで走行しているのが多い(同141)と証言し、又同人は自宅から現場まで二〇kmの距離を一二、三分要した旨証言(同141、173、189―191)するから同人は時速一〇〇kmのスピードで走行したことになる。更に同人は現場付近では時速六〇kmまでは出ていない旨証言(同176)するが、その理由として、信号を右折して現場まで一〇〇m位の距離であるから速度アツプができない旨証言するが(同176)、実際は五〇〇mある(天谷調書159)。従つて、時速六〇km以上の速度で走行することは可能であり、又実際時速六〇km以上の速度で走行していたことは間違いないと思われる。

被告天谷は実況見分においては時速五〇km位で走行し、と供述するが、本人尋問では時速四〇~五〇km、交差点直前でのスピードは時速三〇~四〇kmと供述(同45、57)し一致しない。同人はエンジンブレーキと排気ブレーキで速度が時速一〇km位ダウンした旨供述するが、理論上も経験則上も減速の効果はすぐにはあらわれない。日野岡証人はトラツクの減速はわからない(同人調書48)と言つている。被告の本人尋問の結果は信用できない。

8  事故状況、原因について

(一) 実況見分によれば、被告天谷は本件見取図の、<1>で原告車<ア>を認め、<2>に来た時、左から来る車が速度を落さないのでぶつかるのではないかと思い、次の瞬間<×>で衝突した旨指示説明し、本人尋問においては<2>の地点に来た時、原告車が<イ>地点迄迫つて来ていたが、一時停止の標識があるから当然一時停止すると思つて進行した旨供述する(同人調書49。)実況見分時には<イ>について何ら述べていない。そもそも双方の車両が走行しているから<1>の時<ア>に車両を認めたといつても極めてあいまいなものであるし、<1>方向から<ア>方向へは見通しが悪い。<1>から<ア>点へは見通しができないのである(高橋調書213、214)。

被告天谷が原告車を発見したのは、原告車が本件交差点に接近してからと判断するのが正しい。証人日野岡は被告天谷車の後方三〇mを追従していたこと、サツキコカコーラの正門前を通り過ぎた直後、原告車を発見したこと(同人調書55、56)、原告車のストツプランプが見えたのは本件農道停止線手前四角印の付近であること(同97及び添付図面参照)を証言する。ただ同人は原告車が蛇行しながら来たことを証言するが、この点被告天谷はかかる事実を全く述べておらず、日野岡の錯覚と考えられる。というのは、亡三村は飲酒等の運転は全くなく、日常たえず運転に注意していたこと(原告三村尋問の結果)や日野岡は前進しながら左斜前方の原告車を見ていたのであるから、かかる錯覚に陥ることもありうる。もし、日野岡証言が事実ならば、当然天谷も同様の供述をしていることが十分考えられるにも拘わらず、同人はこの点について何ら供述していない。

(二) 被告天谷、日野岡は原告車がかなりの高速度であつた旨供述し、高橋証人は同速度と判断しているが(89~93)、既述のとおり被告天谷の速度がむしろ高速度であつたことが推測され、原告車の方は、二名共死亡してしまつたので真実はわからないが、日野岡証言の一部を措信すれば、亡光昭は一時停止をしようとしたことは疑いない。亡光昭の生前の運転に対する注意力、及び遵法精神から考えれば、時速五〇km以上の高速度で運転したことは考えられないし、又現場の道路状況から高速運転は考えられない。亡光昭は近くに弟宅(三村喜宏)があり、地理には明るかつたからなお更である。

原告らとしては亡光昭は、一時停止付近で一旦停止して本件交差点に進入したものと考える。そして、左右の安全を確認し、左折の合図をして交差点に進入し、左折せんとしたところに被告車が意外な速度で進入して来て原告車の右前部に自車の燃料タンク付近を衝突させたものと考える。これは亡光昭と訴外亡瀬山は住居がいずれも鴻巣市方面であつたこと、衝突の部位・角度(原告車が直進であつたならば、右側前部が強い衝撃を受け凹損することは考えられない。)から合理的に推認しうる結論である。

被告車の左側前部と衝突しなかつたのは、被告天谷が既に左折停止中、あるいは停止寸前の原告車を本件交差点に入つた直後、あるいは本件交差点進入直前に初めて現認しながら、自己が優先道路であること、彼我の車両の種類から特に危険を感じなかつたため、僅かにハンドルを右に切つたのみで減速徐行をせず、本件交差点を高速度で通過を強行したために、被告車の左側面のサイドバンパー及び燃料タンクで原告車をひつかけ、同車が強力な衝撃を受けて左回転しながら畑地に転落したからである。

9  被告天谷について

同人は職業運転手でありながら、著しい重大な過失により本件重大事故を惹起し、二名の尊い人命を奪いながら一顧の反省改悛が認められないのは誠に遺憾である。

同人は本件交差点付近に至つても全く危険を感じなかつたとか、相手が停止してくれると思つたとか種々弁解するが、恐らく前方・左右の安全を全く確認しないで、自車進路が優越であること、大型トラツクであることから軽乗用車を無視して進行してしまつたと思われるのである。同人は警音器の吹鳴や、ブレーキも踏まないで走行を続けている。著しい前方不注意といわなければならない。

二  被告ら

1  原告らの主張1項は認める。

同2項については、

(一) 「亡光昭が交差点にさしかかり、一時停止して再び発進した」という点は否認する。亡光昭は、一時停止はおろか徐行もせず、時速八〇km以上の高速のまま(おそらく時速一〇〇km位で)、ノーブレーキで、被告車の左側中央部に衝突してきたものである。

(二) 「被告車が、原告車を数十m引きずつた」という点は否認する。原告車が被告車の左側中央部に高速で激突し、原告車は高速のためその反動で約一〇m位走行して停止したものである。

(三) その余の事実は認める。

同3項については、

(一) 被告大杉が、被告車の運行供用者たることは認める。

但し、被告大杉は、自賠法三条但書により免責されるべき故自賠法三条の責任はない。自賠法三条による損害賠償義務があるという点は否認する。

(二) 被告天谷に前方不注視の過失があり、民法七〇九条による損害賠償義務があるという点はいずれも否認する。本件につき被告天谷には何らの過失もなく、本件交通事故は、亡光昭の一方的ないし重大な過失により発生したものである。

同4項については、

(一) 逸失利益が三九〇〇万円なることは否認する。

(1) 亡光昭の死亡時の年齢、職業、同人の五〇年の所得金額は、いずれも不知。

(2) 五一年度の賃金上昇率と同人の五一年の推定所得額はいずれも否認する。

(3) 生活費を控除することは認める(当然)も、亡光昭の生活費が三五%なることは否認する。もつと大きい比率である。

(4) 就労可能年数が六七歳迄の一八年間という点は否認する。公立小学校の教員は、五五歳以下で退職するのが通例であり、その後は、従来の収入が半減するのが通例である。

(5) 中間利息の控除方法は、ホフマン方式でなく、合理的なライブニツツ方式によるべきである。

(6) 計算式は、算式の基礎数字並びに算出式、算出結果とも全て否認する。

(7) 原告らが自賠責保険から受領した金額は、一五〇六万二二二〇円である。

右は損害の填補故、原告らの総適正損害額につき、過失相殺し、然る後に右額を控除して、原告らに本訴残存債権の有無を判断すべきは当然なるも、原告ら主張の充当関係は争う。

(二) 葬儀費用の金額は否認し、支出の如何は不知。

(三) 慰謝料額一二〇〇万円は否認し、その余の事実は全て不知。

(四) 弁護士費用は不知。なお、弁護士費用については、仮に原告らがその主張のように負担したとしても、その全てを被告らに請求することは出来ない。適正損害額、事案の難易、訴訟追行の経過等により相当と認められる範囲に限定さるべきである。

2  本件事故の状況、原因と亡光昭の過失について

(一) 本件交通事故現場並びに事故の状況は、おおむね別紙図面(二)のとおりである。

(二) 即ち、本件交差点は交通整理の行なわれていない十字型交差点であり、被告車と原告車の相互の見通しは、よくない。被告車の方から、左の方は、ガードレールと築山があり、築山の上は、松が植わつている。原告車の方から右は、ガードレールとその向う側に、石垣があり、築山があつて、金網のフエンスがある。

被告車からみて、原告車の車体が見えるのは、交差点から、一〇m位の距離範囲しかない(なお、事故時たる五一年三月当時は信号機がなく、事故後の五一年一二月頃に信号機が設置された。)。

(三) 被告車走行道路は、歩車道の区別があり、車道幅のみで約八mあり、センターラインにより区分され、このセンターラインは、交差点内にもある。よつて、被告車走行道路は、道交法三六条二項に規定する優先道路であり、かつ、明らかに広い道路であり、かつ又、県道の幹線道路である。

(四) 原告車走行道路は、歩車道の区別なく、かつ、センターラインもない、幅約七mの農道であり、車両が少い狭路、劣後道路であり、更に、原告車の本件交差点進入口には、一時停止の標識があり、原告車は、本件交差点に進入するにあたり、当然に一時停止すべき義務がある。

(五) 事故時は、五一年三月二五日の午後六時五五分頃であり真つ暗であつた。車は、全て、ライトをつけていた(日野岡証言、天谷尋問。)

被告天谷は、被告車を運転し、東松山方面から鴻巣方面に向け、法定速度内たる時速四〇kmで本件交差点に至り、交差点手前約二〇m位で、エンジンブレーキと排気ブレーキ等で、時速約三〇km以下に速度を落し、前方左右を注視し、安全義務を尽し、正常運転にて、交差点内に進入した。

被告車が本件交差点内に先入し、本件交差点中央に至つたところ、原告車運転の亡光昭は、酒に酔い(かつ、居眠り運転の疑いもある。)、前方左右(とくに右方)不注視、安全不確認のまま、一時停止義務に反し、一時停止はおろか徐行もせず、時速八〇km以上の高速のまま(おそらく時速一〇〇km位の高速で)、ノーブレーキ、ノーハンドルのまま、交差点に進入し被告車の左側中央部に衝突してきたものである。

なお、原告車がノーブレーキなることは、ブレーキ痕も、スリツプ痕も全くなかつたことからも明白である。

両車の衝突個所は、原告車の前部正面と、被告車の左側中央部であり、これも、両車の破損個所から明白である。更に被告車の破損状況がひどい(トラツクの頑丈な太いフレームが曲がり、根太三本が割れた。)のは、原告車が高速であつたことを推認させる。

(六) 原告車は、前部と右側が大破しているが、前部は、被告車の左側面中央に衝突したときの破損であり、右側の破損は、衝突後、被告車と原告車が瞬時鴻巣方面に並んで走るような格好で、原告車の右側と被告車左側とが、ぶつかつて生じたもので、その後原告車は一回転しつつ、田の中に落ちたものである。

(七) 衝突後の状況は、被告車は、被告天谷が、ボーンという音と衝撃を感じて、すぐブレーキをかけたので、衝突点から約一〇mのところで停止した(なお、停止後、交通のじやまになるのと、油もれがひどいので、すぐ、更に前方左側の道路わきに車を移動した)。

原告車は、衝突後、自己の高速のため反動で回転し、別紙図面(二)の交差点角に止つた。

(八) 亡光昭の飲酒については、三月二五日が教員をしている小学校の卒業式であり、右卒業式後、午後〇時半から午後一時半迄の父母との懇親会で、コツプ酒を飲み、午後四時頃、同人が、亡瀬山(同小学校事務員)を呼び出して、二人で更に酒を飲んだと見られており、事故時には帰宅を急いでいたと思われる。

(九) 被告車運転の天谷にとつては、原告車の道路は、農道で、狭路、劣後路で、かつ、一時停止の標識があることを知つており、当然、原告車が一時停止するものと思つていたし、又、原告車の如き運転をする車両の存在は、信頼の原則からいつても予見し難い。

被告天谷にとり、右の如き事故状況では、衝突の予見可能性、回避可能性とも皆無の不可抗力の事故としかいいようがない。

事故状況については、被告天谷と、被告車の直後に走行していた車両を運転していた日野岡三夫氏がよく、目撃している。

(十) 本件事故は、右のとおり、亡光昭の一方的ないし重大な過失に基づくものであるが、これを分析して記せば左記のとおりである。

(1) 一時停止不履行の過失

(2) 一時停止はおろか、徐行も減速もせず、時速八〇kmないし一〇〇kmという高速で交差点に進入した過失。

(3) 被告車が優先道路で、かつ、広路であるのに、これを無視して交差点に進入した過失。

(4) 被告車が既に交差点に先入しているのに、この先入優先権を無視した過失。

(5) 前方左右(とくに右方)不注視、安全不確認の過失。

(6) 酒酔い運転の過失(居眠りも考えられる)。

(7) ブレーキ、ハンドル等の操作不適切

(十一) 亡光昭の右過失は、重大である。

(十二) 本件における亡光昭の過失割合は、一〇〇~八〇%、被告天谷の過失割合は、〇~二〇%といわざるを得ない。

3(一)  前述のとおり、本件交通事故は、亡光昭の一方的過失によるもので、被告天谷には過失がない故、被告天谷は民法七〇九条の責任を負わない。

(二)  被告大杉は、本件交通事故が、亡光昭の一方的ないし重大な過失により発生したもので、被告天谷には過失なく、かつ、被告大杉は被告車の運行には常に注意を怠らず、被告車には構造上の欠陥機能の障害はなかつたから、自賠法三条但書により免責されるべきである。

4  過失相殺ならびに弁済(損害の填補)の抗弁

(一) 仮に、被告天谷に僅少でも過失があり、被告らが賠償義務を免れ得ないとしても、亡光昭にも重大な過失即ち、八割以上一〇割迄の過失があるから、その重大な過失割合をもつて、原告ら三名の総適正損害額について、過失相殺すべきである。

(二) 被告大杉は、本件交通事故の損害賠償金として、原告ら三名に対し、一五〇六万二二二〇円を支払い弁済した。

これは、原告三名が、被告大杉加入の自賠責保険金より、被害者請求により一五〇六万二二二〇円の支払いを受け、損害の填補を受けたものである。この内訳は、一五〇〇万円が、死亡による損害であり、六万一四〇〇円が治療費であり、八二〇円が文書料である。

(三) そうすると、亡光昭の死亡により原告三名が被告らに請求し得る金額は既に支払われた一五〇六万二二二〇円をもつて、既に十分に填補し尽されているものであるから、原告三名の本訴請求は失当であり、棄却されるべきである。

理由

一  原告の主張1項の事実並びに同2項の事実中亡光昭が本件交差点にさしかかり、一時停止して再び発進したという点及び被告車が原告車を数十m引きずつたという点を除く事実については当事者間に争いがない。

二  そこで次に、本件交通事故の態様等について検討するに成立に争いのない甲第一、三、一一、一二号証、同乙第四~七、九号証、五四年四月五日に三村喜宏が本件交差点付近を写した写真であることにつき争いのない甲第一六号証の一~一〇、五一年三月二六日に小林義谷が被告車を写した写真であることにつき争いのない乙第八号証の一~六、五四年四月五日に被告訴訟代理人早川俊幸が本件交差点付近を写した写真であることにつき争いのない乙第一〇号証の一~二二、証人日野岡三夫、同高橋健一、同三村喜宏、被告天谷及び原告節子の各供述並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下のように言うことができ、右証人あるいは本人の供述中、これに反する部分あるいは沿わない部分は、前掲各証拠に照らして措信できず、他に、以下のように言うことの妨げとなる証拠はない。

1  本件交通事故現場の道路等の概況は本件見取図のとおりである。

2  本件交通事故は、右見取図に表示の交差点内において、五一年三月二五日午後六時五五分頃に発生した。

3  この日、被告天谷は、納品先から、館林市にある勤務先の、被告大杉が経営する大杉運送に戻る途上、本件交差点から約五〇〇~六〇〇m東松山寄りにある交差点を右折して本件県道に出て鴻巣市方向に向かつていたものである。

4  しかして、被告車の後には、本件交差点より数km位先から、日野岡の運転する日産の貨物車(一トン車)が続いており、本件交差点の直前においては、日野岡は被告車の約三〇m後方を走行していた。

5  一方、亡光昭は、鴻巣市立笠原小学校に教頭として勤務していた者であるが、この日、同小学校では卒業式があり、その後、慰労会のようなことが行われ、その際、亡光昭は少くともコツプ一杯位のビールを飲んだが、それ以後における同人の足取りは判明せず、本件交通事故発生直前においては、亡光昭は、原告車の助手席に前記小学校の事務員として勤めていた亡瀬山を乗せて本件農道を大里村方向から川島町方向に走行して本件交差点に差しかかつたものである。

6  ところで、本件県道は、本件見取図においては、その幅員が六・〇mと表示されているが、これは舗装部分の幅員であつて、右舗装部分の被告車進行方向からみて右側には幅員約一・〇mの、左側には幅員約〇・六~〇・七mの未舗装部分があり、全体としては、約七・七mの幅員を有する東松山市から鴻巣市に通ずる幹線道路であり、本件交通事故発生直後の五一年三月二五日午後七時一五分から同八時〇分までの間に行われた実況見分の際の一〇分間に、本件交差点付近における本件県道上を約四〇台の車両が通行した。

7  又、本件農道は、本件見取図においては、その幅員が五・八mと表示されているが、右幅員は舗装部分の幅員であつて、舗装部分の両側には若干の未舗装部分が存在する道路であつて、6に述べた時間帯における一〇分間に本件交差点付近における本件農道上を約七台の車両が通行した。

8  本件交差点においては、本件県道上に中央線が引かれていて、本件県道は優先道路とされており(道路交通法三六条二項参照)、そのうえ、更に、本件農道には本件交差点の手前に「一時停止」の道路標識が設置されていた。

なお、本件交通事故発生当時は、本件交差点には信号機は設置されていなかつた。

9  しかして、被告天谷は、時速五〇km位の速度で本件県道上を被告車を走行させて本件交差点に差しかかり、右交差点の手前一九m位の地点で、本件農道上を大里村方面から本件交差点に向かつて進行して来る原告車に気付き、アクセルから足を離し、エンジンブレーキを作動させ、進路を少し右に変えたが、同人は、本件県道が幹線道路で交通量も多い優先道路であること、本件農道には本件交差点の手前に「一時停止」の道路標識が設置されていることを知悉しており、普段本件交差点を進行する際にも、本件農道を通行する車両が本件県道を走行する車両に優先権を与えている実態を目にして来ていたことから、当然原告車は道路標識に従つて、本件交差点に入る前に一時停止をするものと考えて、エンジンブレーキをきかせ、進路を少し右に変えたにとどめ、フツトブレーキ操作はせずに本件交差点に進入したところ案に相違して、原告車が減速せず、従つて、一時停止する様子を見せずに、従前の速さのままで交差点に進入せんとしていたので、衝突するのではないかと思つたが、そう思う間もなく、本件見取図の<×>印辺で、原告車の前面が被告車の側面に、そして、原告車の左前部が被告車の荷台部分の最前部あたりに来る位置関係において衝突し、原告車は被告車に振り回される形となつてほぼ一回転して本件見取図の<ウ>辺に止まり、被告車は衝突地点から約二七・三m離れた本件見取図の<3>付近に停止し、亡光昭は原告車から放り出されて本件見取図の<エ>辺にうつぶせに倒れて即死し、原告車に同乗していた亡瀬山は病院に収容されて間もなく死亡した。

三1  原告らは、その主張8項(二)において、亡光昭が、本件交差点に差しかかつて一旦停止して左右の安全を確認して、左折の合図をして交差点に進入し、左折せんとしたところに、被告車が意外な速度で進入して来て原告車の右前部に被告車の燃料タンク付近を衝突させたものである等の主張をするので、以下この点に関して検討することとする。

2  亡光昭が、原告らの主張するように、一時停止の標識に従つて、本件交差点に進入する以前に一旦停止して、左右の安全を確認したとすれば、甲第一六号の一~一〇、乙第四、五、一〇の一~二二号証によつて認められる本件交差点付近の場所的状況に照らし、本件交通事故は発生しなかつたであろうということができる。なぜなら、亡光昭が本件交差点に進入する以前に一旦停止して左右の安全を確認していれば、同人は当然、右方から、被告車及びそれに引続いて日野岡運転の自動車が、本件交差点に進入して来るのに気付いた筈だからである。

この点に関し、原告らは、被告車が意外な速さで交差点に進入して来た旨を主張するのであるが、乙第四号証、証人日野岡及び被告天谷の各供述を総合すれば、被告車は、スリツプ痕をつけずに、本件見取図の<3>の付近で停止したこと、右<3>地点と被告天谷が危険を感じたという地点<2>との間の距離は三五・一mであることが各認められ、以上の諸事実を総合すれば、被告が異常な高速度で被告車を走行させて本件交差点に進入して来たものとは考え難い(乙第四、七、八、の一~六号証、証人日野岡三夫、同高橋健一及び被告天谷の各供述によれば、被告車は本件交通事故により左側タンクが破損し燃料の軽油が流出した事実が認められるのであるが、この事実に徴すれば(右流出した軽油の道路上における痕跡をもとにすれば)、被告車の停止した位置は容易に判明した筈であると考えられるから、被告車の停止位置を<3>とした実況見分調書の記載はほぼ正確であると考えられる。―なお、経験則に照らし、本件見取図の<1>、<2>、<3>はいずれも指示説明に係る事実があつた時点における被告車の運転席を意味するものと理解できる。)。

3  五一年三月二六日に被告車を撮影したものであることにつき争いのない乙第八号証の一~六、成立に争いのない乙第九号証及び被告天谷の供述を総合すれば、被告車は、本件交通事故により、被告車の前部から後部へと通じている左右二本のフレームが、左側フレームについては約三mm、右側フレームについても約二mm右方向即ち大里村から川島町方向に曲がつたことが認められるが、フレームが右のような曲がり方をしたということは、大里村方向から川島町方向に相当強力な力が加わつたことを意味し、これによれば、原告車は、大里村方向から川島町方向にかなりの高速度で直進しようとしていたものであることが推測される一方、交差点直前で一旦停止してから交差点に進入し、左折せんとしていたものであるとは到底考えられない。

4  次に、乙第四、七~九号証を総合すれば、被告車は左右両側に鉄パイプ製のサイドバンパーが取付けられていて、燃料タンクは、サイドバンパーに保護されるような形でその内側に取付けられていたものであること、本件交通事故により、左側のサイドバンパーは折損して今にも被告車から脱落せんばかりの状態となり、被告車の左側に二個取付けられていた燃料タンクのうち前にあるタンクの前側左半分は著しく変形し、更にその最前部付近は川島町方向に著しく凹損していることが各認められるのであるが、原告らが主張するように、原告車が本件交差点進入直前に一旦停止してから本件交差点に進入し、しかも左折停止中あるいは停止寸前の状態にあつたときに、被告車が意外な速度で接近して来て原告車の右前部に衝突したものとすれば、サイドバンパーが当つた段階で原告車は被告車と平行となるか、あるいはそれ以上に左側に向きを変え(左回転し)、従つて、原告車の左前部が被告車の燃料タンクを川島町方向に著しく凹損させ、あるいは被告車の左右二本のフレームを川島町方向に曲げるような結果を招来することはなかつたであろうと考えられる。

5  乙第四、七、八の一~六、九号証及び弁論の全趣旨を総合すれば、被告車の荷台の下部付近に、その最前部が運転台と荷台の中間付近から始まる長さが約六七cm、深さ約三〇cmの工具箱が取付けられていたところ、右工具箱は本件交通事故により、工具箱の最前部から工具箱の長さの約四分の一位後に行つたところから凹損が始まつていること、その凹損は工具箱の中心部よりやや前の部分において最もひどく、後方部分においては凹損の程度は弱まつており、しかして、凹損の最もひどい箇所は、原告車の左前照灯が真横からぶち当つたと考えるのが最も自然な損傷の仕方をしていることが各認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

6  次に、乙第四、七、八の一~六号証を総合すれば、損傷を受けた燃料タンクは、その最前部辺の左半分に凹損がひどいことが認められるのであるが、乙第七号証によれば、右最もひどい凹損部分と5に述べた工具箱の凹損の最前部間の距離は一・三m位で、これは、原告車の車幅とほぼ合致することが認められる。

しかして、右掲記の証拠によれば、燃料タンクは工具箱よりも外側に取付けられていることが認められ、この事実と、右に述べたところ及び5に述べたところを総合すれば、原告車の右前部が燃料タンクに当り、次いで左前部が燃料タンクよりも奥に(川島町方向に)あつた工具箱に当つたため、工具箱は燃料タンクに近い方が、その凹損の程度が弱かつたのであるということが推測される。

7  次に、乙第四、七号証によれば原告車は、その前面の、前バンパーの上の部分が押しつぶされて運転席方向にめり込む形となつていることが認められるが、右のような変形は、原告車が本件交差点において左折せんとして位置関係は川島町方向を向いていたが左折のため停止しあるいは停止寸前の状態にあつたとか、又は、原告車が鴻巣市方向(左)へ向きを変えていたというときに、東松山市方向から鴻巣市方向に走行して来た被告車によつて作られる変形ではないと言える(原告らは、原告車が被告車の左側前部と衝突しなかつた理由付けの一つとして、被告が(僅かに)ハンドルを右に切つたことを挙げるが、ハンドルを右に切られた被告車が左折せんとして未だ直進の位置関係にあつた原告車あるいは左に向きを変え始めた原告車と衝突した際に、原告車の前部が運転席側に押しつぶされるような変形が原告車に生ずるとは考えられない。なお、原告らは、原告車が被告車の左前部と衝突しなかつたことの理由として、被告車の左側面のサイドバンパー及び燃料タンクで原告車を引つかけ、原告車を畑に転落せしめたことも挙げるが、被告車の左前部は被告車のサイドバンパーや燃料タンクよりも先に原告車の前を通過するのであるから、原告らが挙げる右理由は、被告車の左前部が原告車に衝突しなかつたことの理由となり得る余地はない。)。

8  以上2~7に述べたところ及びそこに掲記の証拠を総合すれば、原告車は、一時停止の標識があるにも拘らず相当の高速度で本件交差点に進入し、自車の前面を横ぎりつつあつた被告車の、まず左側サイドバンパーにつき当りこれを折損させ、次いで、自車の前部右端部分辺を被告車の燃料タンクにぶち当て、その衝撃で、被告車のフレームを左右とも自車進行方向につき出させると共に、燃料タンクにぶち当つた直後に自車前部の左側部分を被告車の工具箱にぶち当て、かつ、以上と並行して、亡光昭からみて右から左へ走行している被告車の力を受けて左回転を始め、結局、一回転して、衝突地点から約一二・五m離れた田んぼの中に停止したものと認めることができる。

9  原告らは、原告車が直進であつたならば、原告車の右側前部が強い衝撃を受け、凹損することは考えられない旨主張するところ、なるほど、乙第四、七号証によれば、原告車は右側の方が左側よりも損傷がひどく、かつ、自車の左方向への力も受けたことが認められるが、自車の前を右から左に走行する被告車に衝突し、しかも、その燃料タンクを自車の右前部で凹損させれば、この燃料タンクの凹損を受けなかつた部分その他で、自車の右から左方向への力を受けることは当然であるから、原告車の右側が左側よりも損傷がひどく、かつ左方向への力を受けたとしても、それは原告車が直進していたことと何ら矛盾するものではない(なお、さきの2~8に述べたところを総合すれば、原告車は、まず被告車の左サイドバンパーに自車の前面を衝突させ、ついで、自車の右前部を被告車の燃料タンクに衝突させ、その後、自車の左前部を被告車の工具箱に衝突させたものと考えられるのであるが、燃料タンクに衝突したことにより川島町方向への力は当然減弱するから、左前部が工具箱に衝突した時の勢いは、右前部が燃料タンクに衝突した時の勢いよりも当然弱まつている筈であり、このことも、原告車の左前部の損傷が同車の右前部の損傷よりも程度が弱いことの原因となつていると考えられる。)。

それよりも、乙第四、七、八の一~六号証によれば、被告車の工具箱は、被告車の左側端線よりも内側、鉄パイプ製のサイドバンパーよりも内側にあると認められるところ、左折せんとしている原告車に被告車が衝突しながら、被告車の運転台部分はどこも接触痕を残さず、鉄パイプ製のサイドバンパーの内側にある工具箱に凹損が生じたことを原告らはどのように考えているのだろうかという思いを禁じ得ない(今まさに左折せんとしていたとすれば、原告車は川島町方向への力は極めて弱いと考えられるところ、この原告車により鉄パイプが折損して、その内側にある工具箱に凹損が生ずるとは考え難いのである。)。

10(一)  証人日野岡は原告車が蛇行走行していたとか、原告車のストツプランプがつくのを見たとか、ストツプランプがついたのは、本件交差点直前にある横断歩道の直前あたりであつたとかいつた趣旨の供述をする。

(二)  しかし、日野岡が原告車を見たのは左斜前方であるから蛇行走行か否かの判断には、その正確性に疑問がある。

しかして、同証人の供述によれば、同証人は蛇行走行との判断の根拠を原告車のライトが見えたり、見えなくなつたりしたことに置いている如くであるが、幅員六m位の道路で蛇行によりライトが見えたり見えなくなつたりするというのは少しく奇異であり、甲第一〇の一~一〇、乙第四、五、一〇の一~二二号証に照らせば、ライトが見え隠れしたのは、日野岡と原告車との間に介在した植え込み等の影響によるものではないかと考えられる。

(三)  次に、原告車のストツプライトの件であるが、横断歩道の手前でストツプライトがついていれば、本件交通事故は発生しなかつたが、あるいは原告車のスリツプ痕がついているかのいずれかであろうと考えられる(一時停止の標識に従つてブレーキを踏んだものとすれば本件交通事故は発生しなかつたであろうし、被告車を認めてブレーキを踏んだものとすれば亡光昭は力一杯ブレーキを踏む筈である。)。しかるに、本件交通事故は発生したのであり、又、乙第四、五号証、証人日野岡三夫及び被告天谷並びに弁論の全趣旨を総合すれば、原告車のスリツプ痕はなかつたことが認められるのである。

しかして、前記日野岡の供述及び原告車のスリツプ痕がついていないという事実からは、亡光昭は危険が直前に迫つてから急ブレーキをかけたが、スリツプ痕がつき始める前に衝突し、その後には、スリツプ痕がつく程にブレーキがかけられることはなかつたということが推測されるのである。

四1  以上二、三項に述べたところ及びそこに掲記の証拠を総合すれば、被告天谷は優先道路であり、かつ、幹線道路で交通量も本件農道に比しはるかに多い本件県道を時速五〇km位で本件交差点にさしかかつたところ、本件農道を大里村方向から本件交差点に走行して来る原告車を認めたが、本件県道が優先道路であること、本件農道には本件交差点に入る前に一時停止の標識が設置されていることを知つていたところから、又、普段本件交差点を通過する際、本件農道を走行する車両が本件県道を通行する車両に優先通行権を与えている実態を見ていたところから、原告車が当然に一時停止の標識に従つて一時停止し優先道路を通行している被告を優先的に通行させてくれるものと考えて、アクセルペダルから足を離してエンジンブレーキを作動させただけで本件交差点に進入したところ、案に相違して原告車は一時停止をせず、従前どおりの相当の速さのままで本件交差点に進入し、その結果、被告車の左側面に激突し、右衝突事故により亡光昭は即死したものであることが認められるのであるが、以上の事実関係をもとに考えれば、被告天谷には過失はないか、仮に何らかの過失を認めても、その過失は、亡光昭の過失が余りにも大きいので、これと比較した場合、被告天谷二、亡光昭八の過失割合以上に、被告天谷の過失割合が多いと言うべき余地はないものと言うことができる(乙第四号証によれば、本件県道の制限速度は時速四〇kmであることが認められるが、たとえ、原告車が一時停止の標識に従わずに本件交差点に突入して来ることで、被告天谷が危険を感じたという本件見取図の<2>地点を走行していたときの被告車の速度が制限速度の時速四〇kmであつたとしても、その位置関係からして衝突事故は到底免れ得なかつたと考えられるのであるが、その点は措いても、被告天谷が時速五〇km位のスピードで被告車を走行させ本件交差点にさしかかつたという落度は過失割合二〇%の中に優に包摂され得るものである。なお、原告らは、本件交差点内における本件県道方向の中央線は白線が消えかかつていて本件県道が優先道路であることの表示は極めて不明瞭であつた旨の主張をする―原告らの主張7項(二)―が、原告節子の供述によれば、亡光昭の実家は吉見町であり、同人の弟三村喜宏は本件交通事故現場の近くに住んでいたので、亡光昭は本件交差点をよく通つたというのであるから、同人は本件県道が優先道路であることは知悉していたものと考えられる。)。

2  次に、弁論の全趣旨に照らせば、被告大杉自身が被告車の運行に関し注意を怠つた事実はないことが認められる。

3  又、乙第七号証及び被告天谷の供述並びに弁論の全趣旨を総合すれば、被告車には、本件交通事故発生時及びそれ以前でこれに近接した時間内において、本件交通事故の発生に因果関係を有するような構造上の欠陥又は機能上の障害は何もなかつたことが推認される。

五  そして、成立に争いのない乙第一一、一二号証によれば、原告らは本件交通事故により自賠責保険から被告らが主張するように一五〇六万二二二〇円の金員を受領したことが認められる(原告らも一五〇〇万円の限度では、右保険からの金銭の受領を認めている。)

六  しかして、本件交通事故により原告らの被つた損害の総額は、原告らの主張をそのまま採用しても五三〇〇万円であり、かつ、総損害がこれを超えることの主張立証はない。

七  しかして、四項に述べたところによれば、被告らには何らの賠償責任もないが、被告天谷に過失があつたとしてもそれはせいぜい二割方の過失と言うべく、しかして、右割合に応じて過失相殺すれば、原告らが他に賠償を求め得べき額は一〇六〇万円となるところ、さきに見たとおり、原告らは既に自賠責保険からこれを上回る金銭の交付を受けているのであるから、これ以上他に賠償を求め得るものではない。

八  そうすると、原告らの請求は全て理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を各適用のうえ主文のとおり判決する。

(裁判官 高篠包)

別紙図面(一) 交通事故現場見取図

<省略>

別紙図面(二) 本件事故状況図

<省略>

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